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一方、昨年10月、「JR西日本は三江線の全線廃止を検討している」という記事が新聞で報道されました。昭和62年の旧国鉄の分割民営化の時も含め、三江線は幾度となく存続の危機に立たされ、沿線の6自治体で協力して乗客を増やす取り組みを進めてきましたが、著しい利用者の増加にはつながっていません。人口減少という大きなうねりが、「地域の生活交通」にも影を落とそうとしています。地域公共交通に光を―これは三江線だけの問題ではありません。身近にある地域公共交通を見つめ、向かい合い自分のこととして考えるときが訪れています ―。三江線の歴史【参考】「ぶらり三江線WEB 資料集(三江線改良利用促進期成同盟会・三江線活性化協議会)」三江線は、広島県三次と島根県江津の間を江の川に沿って建設された鉄道です。工事は大正15年9月に島根県側から着工し、最初に、石見江津~川戸間が昭和5年4月に開通しました。その後、次々に開通区間を延ばし、昭和12年10月に石見江津~浜原間(50・1㎞)が全線開通しました。並行して、広島県側からの工事が、昭和11年8月に着工。戦争の拡大に伴い工事は一旦中止されたものの、三次~式敷間(14・7㎞)が三江南線として昭和30年3月に開通。三江南線の開通に伴い、島根県側から工事を進めてきた三江線は三江北線に改称されました。三江南線は、その後、式敷~口羽間が昭和38年6月に開通し、三次~口羽間(28・4㎞)となりました。三江南北両線を結ぶ浜原~口羽間(29・6㎞)は昭和41年1月に着工、昭和50年8月に開通し、これで江津~三次間(108・1㎞)が全線開通し、南北あわせて三江線となりました。工事着工以来50年、その前史を含めると70余年の歳月を経て、沿線住民の悲願である全線開通の日を迎えた。歓迎のなかを発車する祝賀列車(伊賀和志駅)特 集JR三江線広報みよし 2016.2月号3

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