miyoshi157L
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田中 小学校ではサッカーをしようと思っていました。しかし、母がどうしても野球をさせたかったらしく、それで野球をすることになりました。市長 お母さんに感謝しないといけないですね。小学生の頃、監督の指導はどのようなものでしたか。田中 厳しかったです。今でもお会いすると身も心もピリッとしてしまいます。現在の私があるのは監督のおかげです。市長 三和小学校、三和中学校で野球をしていた頃の一番の思い出は何ですか。田中 みわスポーツ少年団は、私が小監督やコーチは、仕事をしながら、休日には私たち子どもを指導してくださっていたのですから、本当に感謝の言葉しかありません。「夢」をあきらめないでほしい―市長 田中さんは小学生の頃から、プロ野球選手になることが夢だったようですが、夢をかなえるために大切なことは何ですか。田中 私は他の人よりプロ野球選手に「なりたい」という思いが異常に強かったのではないかと思います。小学生の頃から、「プロ野球選手になって、僕が家族を養うのだ」ということしか考えていませんでした。   多くの子どもたちが「無理だ」とか「自分は向いていない」とか言って、途中で夢をあきらめているように見えます。子どもたちに夢を追い続けることの大切さを、自分の経験を踏まえ伝えていきたいと思います。市長 誇れるまちづくりのために、これからも「スポーツのまちみよし」実現に取り組んでいきます。田中さんがプロ野球での一番の思い出にあげた、平成25年9月18日の中日対巨人戦(ナゴヤドーム)の写真です。岩いわ瀬せ仁ひと紀き投手が382セーブの日本人新記録を達成したこの試合に、田中さんはスタメンマスクをかぶりフル出場。打っては3打数3安打の猛打賞で、試合後お立ち台に立ち、観客と喜びを分かち合いました問 秘書広報課秘書広報係  ☎0824-62-6103  0824-62-6223ⓒ中日ドラゴンズ広報みよし 2017.4月号7

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