備北のかがやき第18号
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2017年~2018年は、幕末維新から150年の節目の年。広島県三次市三次町は三次藩初代浅野長治公が整備した城下町。今も、残された物語や遺跡にその面影が強く残る。三次藩は世継ぎの藩主が早逝したため、1720年(享保5年)廃絶。本藩の浅野広島藩に吸収されている。頼杏坪の生きた時代は、まだ幕末の足音は聞こえていないだろうが、杏坪の影響を受けた甥の頼山陽やその子頼三樹三郎は幕末の思想や維新の志士たちに強い影響を与えている。頼杏坪について、郷土が生んだ歌人中村憲吉はこう言っている。「私は山陽先生を思ふと、妙にその家叔杏坪先生のことに心が惹かされてくる。杏坪先生は山陽終生の理解者であり、殊にその青年逆境の時代には最も温い庇護者であつた。」(※1-1)そして、その生涯を山陽と比較してこう描写している。「山陽の盛名とその不羈の生涯。謹直枯淡で縁の下の力持ちの如き一生を終つた杏坪先生。この相反した叔甥二人を対比して考へてみると、山陽の光彩ある生涯に対し、杏坪先生の粛然たる存在は、ある奥行を与へる一添景たるの感がする。」(※1-2) 運甓居を訪れて、ほぼ半世紀ぶりに葺き替えられた茅葺の屋根と軒の部材の断面の見せる清々しさに、頼杏坪の清廉な生涯が私の内で何時しか重なっていた。運うんぺききょ甓居(頼杏坪役宅)広島県指定史跡。入母屋造り茅葺平屋建て(132㎡)。杏坪は三次町奉行に就任した際、中国の東晋時代に地方役人の陶管侃が朝夕100枚の甓(敷瓦)を運んで、心を引き締め、力を蓄えたという故事にちなんで、運甓居と称し、執務の戒めとした。住 三次市三次町1828-2 料 入館無料問 (一社)三次市観光協会 ☎ 0824-63-9268営 10:00~17:00(個人管理のため、年末年始、不定期閉館の場合があります。庭や外観の佇まいに触れることは常時可能です。)備前の器に添えられた一輪の白い茗荷の花が、私を迎え中へと誘う。そして、頼杏坪の手になる屏風や掛軸に対座する。私が訪れたのは、広島県三次市三次町にある運うんぺききょ甓居。ここは、江戸時代後半の儒学者であり、漢詩人として、さらには頼山陽の叔父として名の知られる頼杏坪が、三次町の奉行となり役宅を構えたところなのです。運うん甓ぺき居きょを訪ねる〜頼らい杏きょう坪へいとその時代〜運甓居の所有者で管理をされているのは中村さんご夫妻。往時の端正な佇まいを今日まで伝えている。奥様の厚子さんにお話を伺う。「頼杏坪をもっと知ってもらいたい。そんな思いからいつでもお客様をお迎えしても良いように準備をしています」と話される。中村さんの美意識を感じた一瞬です。(毎年、11月3日には、お茶席が設けられます。)ナビゲーター丸石玲奈さん2017-2018 きんさいエイド三次14

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