神石高原2月号
6/16

読書の集い―読書感想文コンクール受賞作品紹介―「教養のまち-神石高原町」「私の責任―『黒い雨』を伝える―」一般 矢 野乃佳さん大学進学のため故郷・神石高原町を離れ、山口市で暮らしている。出身地を尋ねられ「神石」と答えると、誰もが知らないと言う。同じ県内出身者でもそうだ。その中でただ一人、「神石」という地名から「小畠村」の名前を挙げた人がいた。それは近代文学の教授で、教授の脳裏には『黒い雨』の舞台としての神石、小畠村が浮かんでいたようである。恥ずかしいことに、私はそれまで『黒い雨』を読んだことがなかった。それが自分の故郷とどのような関係があるのかもよく知らなかった。けれども遠く離れた山口で、『黒い雨』は私と教授を、文学を繋いでくれたのである。私は『黒い雨』を読み、この夏、その教授らとともに小畠村を訪れた。そして、小説『黒い雨』の意味を考えることになったのである。『黒い雨』は、主人公・閑間重松の被爆日記が重要な位置を占めている。それをもとに当時を回想しながら、数年後の小畠村で姪の矢須子のことを心配する彼の様子が描かれている。閑間重松は実在した人物・重松静馬氏をモデルとし、日記というのも氏の手記である『重松日記』のことである。実在する人物や日記が用いられることで、作品世界がよりリアルに感じられた。特に日記に書かれている原爆投下直後の光景は、事実であると思いながら、これが本当に広島で起こったのかと疑いたくなるほど衝撃的だった。広島の原爆被害は、これまでも映像や資料などから学んできた。悲惨な光景を目にする度に、戦争はいけない、原爆などいらないと強く思ってきた。『黒い雨』を読んだ後も、この凄まじい現実を繰り返してはならないという思いはますます強くなった。そしてもう一つ、我々が心に留めて置かなければならないことがある。『黒い雨』が語るのは広島市の惨劇だけではない。あれから何年も経った後にも続く、原爆の見えない恐怖が生き残った彼らを襲う。重松はすでに原爆病を発症し、矢須子も原爆病を疑われてなかなか縁談が成立しなかった。そしてついに、彼女までも原爆病に冒されてしまったのである。「はじめ僕は茶の間でそれを打ちあけられたとき、瞬間、茶の間そのものが消えて青空に大きなクラゲ雲が出たのを見た。はっきりそれを見た」この部分から、逃れることのできない原爆の脅威を感じる。そしてそれを目の当たりにしている重松の恐怖、絶望、怒りといった感情も。原爆投下から距離も時間も離れた地で繰り返される悲劇を見て、私は、人間は無力だと思った。元凶となる原子爆弾そのものを生み出したのは人間であるが、それがもたらす現実に対して、人間は無責任であり、どうすることもできないのだと。舞台となった小畠村を訪れ、その景色を眺めるほど、小説に描かれる現実がより衝撃的に感じられた。原爆とは縁のない平和そのものに見える小畠村にも、確かにあのいまいましい「クラゲ雲」は現れたのである。「『今、もし、向こうの山に虹が出たら奇蹟が起る。白い虹でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ』/どうせ叶わぬことと分かっていても、重松は向うの山に目を移してそう占った。」原爆は一瞬にしてすべての生命を奪い取る。しかしこの小説の最後の言葉からは、絶望の中でも生きようとする重松の希望が、祈りが、切実に感じられる。「虹」という自然現象に運命を占うという姿は、単なる慰めに過ぎないかもしれない。けれども私には、山村で自然と共生する人間本来の姿が、懸命に生きようとする生命そのものが感じられたのである。原爆で多くの命が失われた中で、このような祈る姿こそ、我々が創らなければならない平和への道の、希望の光となるだろう。戦後七十一年が過ぎ、戦争や原爆を知らない世代がほとんどとなった。このような現代においても、過去の過ち、事実を語り継いでいく必要があるのは変わらない。戦争や原爆に関する映像や写真、小説などは数多くあり、我々や次の世代の子供たちは、それらの資料から平和や核廃絶への思いを募らせていくことになるだろう。事実を伝え、平和を繋いでいくこと、それこそ我々一人一人に課された責任である。私は国語教師を目指しているが、その責任を果たすために、文学、そして言葉を通して平和を訴えていきたいと思う。たとえ実体験でなくても、文学作品の一つ一つの言葉から、戦争とは何か、平和とは何かを問うことはできる。「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。」この重松の言葉をどう教えるのか。子供たちに何を伝えるのか。それは私の責任であり、我々の責任でもあると思うのである。*『黒い雨』(井伏鱒二・著/新潮社・刊)最優秀賞【黒い雨の部】6広報 神石高原 No.148

元のページ 

page 6

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です