私学新庄56号
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-6「いつまでも故郷」1976(昭和51)年に私が母校を卒業し、今春で46年が経過しました。歳を重ねるのはあっという間で、光陰矢の如しとはまさしくこのことですね。母校卒業後、神戸商科大学に進学。建設会社の竹中工務店に就職して、勤務は全て関西圏内であり、現在は宝塚に住んでいます。会社での主だった経歴は、作業所(丸紅大阪本社ビル、リーガロイヤルホテル大阪増築)5年、購買7年、社長室秘書7年、総務11年、そして現在の経営企画室8年などです。第一線の作業所から本社まで、満遍なく経験できたことを幸せに感じています。生活拠点は、北広島18年、関西46年であり、北広島への帰省はお盆、正月でした。そんな中、50歳を境に、母校の同学年同窓会への出席、野球部の甲子園出場をきっかけに同窓会関西支部への参画など、青春期を過ごした母校が、今の自分の礎を築いてくれたことを実感させて頂いています。今では、「広島新庄クラス会」というG連日楽しく四方山交信もしています。さて、私の現在所属する経営企画室という部門は、会社の経営目標立案、広報、CSR、TQM、新規事業企画、歴史アーカイブなど多岐にわたる業務を担っています。その中で、会社のDNA、ノウハウ、アイデンティティを如何に社員に根付かせ、社会的責任を果たしていくかという業務を主に担当しています。そして、この業務に取り組む基本的な姿勢は、母校新庄時代に培われたと思います。それは、世界史担当であった宮庄良行先生(前理事長)の言葉が端緒なのです。授業中にぎやかな私達に「みんな良く聞け。一人だったLINEを同学年36人で組み、ら何をしてもいい。しかし、二人おったら、そこには社会ができる。ええか。他人に迷惑をかけることは絶対にしちゃあいけんよ。」この言葉は、当時は単に「悪い行いで他人に迷惑をかけるな」という苦言にしか聞こえませんでした。しかし、入社して様々な課題に取り組む際に、「我々の一つ一つの企業活動は、人に優しく、そして社会貢献できているか?」という問いかけが、常日頃から私自身に出来るようにしてくれていた金言であったことに気づきました。そして現在、社員教育の際、この言葉をちゃっかりと使わせてもらっています。数年前、同窓会関西支部総会に理事長として出席された良行先生に、御礼方々この想い出を伝えたら、「そんな事をしゃべったかいのお」と嬉しそうに笑っておられました。また、私も65歳を迎え、何かしら地元貢献もしたいと強く考えるようになりました。そんな折、広島北法人会北広島支部の長田支部長(同窓会会長)や、同級生であり北広島町商工会副会長として活躍の森田隆司君の骨折りにより、10月22日に千代田開発センターで開催の「三宅民夫氏講演会」に私も関われたことを大変嬉しく思います。最後になりましたが、私も、もちろん根っからの広島カープファンです。家内も関西出身ながら今では私以上のカープファンになってくれ、宮崎・沖縄キャンプ、シーズン開始後は、甲子園はもとよりマツダスタジアム、東京ドーム、バンテリンドームに、ユニフォーム着用、カメラ持参で出没しています。私達を見かけたら是非声をかけてください。今や全国区の母校広島新庄。新庄健児の矜持をもってこれからも社会貢献していきます。「いつまでも故郷」 あり我が母校広島新庄です。それは北広島で4組同級生集合写真2021年選抜高校野球出場(宿舎で)今年のカープ野球観戦卒業時寄せ書き株式会社竹中工務店(大阪市)勤務土井 充さん(高校28回生)同同窓窓生生はは今今・・・・・・

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